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2022.09.29
10月1日は印章の日
我々が、制度の下に商いをさせて頂いている「印章の始まり」もこの頃であります。
大宝律令が発布(701)されて、印章は歴史の表舞台に登場します。
律令の中の公式令で印制が決められ、702年から諸国印が順次造られ、各國へ配布されます。
印制どおりの印影は702年以降のものが、「天皇御璽」をはじめ、正倉院に多く保管されています。
伝来の爾以来、今までに皆無であった印章が、急に歴史の表舞台に現れたということは、制度の浸透には、印章が欠かすことのできない存在となったことを示す重要なもの・・・藤原宮を支え、奈良時代を支えた旗竿になったことは、確かな事であると推察します。
その後の歴史において、やはり制度のなかで育まれた印章は、徐々に私印が表れ、私たちの暮らしの中に浸透して行きました。
明治には、書判という花押を廃して、印章を重んじる現在の印鑑登録制度が出来上がりました。
そして登録印鑑のみならず、印章の重要性や利便性は、我が国にとって大変重要な位置を占めるようになりました。
ところが、現在それを非合理的?として敵視する勢力が存在することは、確か
象牙一つをとっても、我々印章業者が自然破壊の先駆者であるような圧力宣伝をされたり、自然材を大切に扱ってきた職人の想いとは裏腹な、印材・・・自然破壊というなら、マイクロプラッチックの温床になるような樹脂印材のことは、何も物申さないで、ただただ象牙材を攻撃される。
嘗てより、日本の職人は、自然の材料に感謝の念を持ち、それを大切に加工してきたという歴史があります。
大量生産と大量消費の繰り返しではなく、自然と相談しながら、自然材と上手くお付き合いをして、モノを大切にするという習慣が根付いています。
人形浄瑠璃に使われるクジラの髭などは、その代表格といってもよいのではないでしょうか。
官印制度確立より1300年以上たっている今日、内よりの崩壊を願うのではなく、何よりもその有難味を感じて頂きたいと感じる次第です。