蔵六のニユース

2023.07.06

蔵六ニュース 第14号

 

蔵六ニュース 第14

■コロナ過の束縛が緩やかになり社会全体が動き出してきたような雰囲気であります。

我々の業界はコロナだけでなく、脱ハンコの流れの先行き不透明感の二重の苦を背負い生きていかねばなりません。覚悟が必要です。

先月、大坂の三田村様の個展にお邪魔してきました。印章作家三田村きあんの文字は、女性的美しさを有し、繊細さと、丸く仕切られた空間を宇宙に変える物語性がある。~職人技から表現者へ~

これははんこと大阪と文学という表題にあった文章の一部ですが、業界人としての生き様の一つの形でもあると思いました。

全国すべてのハンコ屋さんがまねできるものではありませんが、私は、これを印の用の美と言いSNSを使い発信をしませんかと問題提起をしています。ハンコ屋さんの経営に生かせる言葉である思っています。民芸というジャンルに用の美という言葉があります。

社会生活に必要不可欠な印章に美という要素を加える、今までにない発想だと思います。

 

 

■添付資料

毎月9日はクジラの日企画案

昭和の印材と言ってもいいのかもしれない『マッコウクジラのハンコ』添付資料をクリックして読んでいただきたいが、語呂合わせでもある。

36ミリ丈・45ミ丈・60ミリ丈の印材を商人ドットコムに掲載した。

サイズは多少ピッタリとは加工されていない印材もあるが、故に破格値で提供する事ができる事になった。

お店に1本は在庫して、毎月9日には『クジラの日』としてPRし、お店に変化を付け加えるなんて演出もいいと思う。

甲州商人ドットコム (koshu-akindo.com)

 

 

■印章:刻まれてきた歴史と文化・・その③

(3.絵画における落款印章 )

 絵画において、絵師の名前などが記されている下に、印が捺されているのをご覧になっ たことはないだろうか。これらは落款印章(らっかんいんしょう)といい、作品完成時 に記される絵師の名や、そこに捺される印のことを示している。日本において、落款印章 が付されるようになるのは鎌倉時代末頃から南北朝時代頃だといわれており、中国(宋・ 元)の絵画に倣う形で始まったと考えられている。

しかしながら、篆刻(てんこく)の方 法を研究した上で自ら印を刻すようになるのは、もう少しあとのことであった。 17 世紀半ば、中国の明王朝滅亡の折、日本に亡命した黄檗宗(おうばくしゅう)の渡来 僧によって、日本に近世篆刻文化がもたらされたことがひとつの契機となる。独立(どく りゅう)や心越(しんえつ)ら、篆刻に優れた僧らが日本に帰化したことによって、明末 清初の装飾的な作風が特徴の篆刻諸派が生まれることになる。また、山梨出身とされる高 芙蓉(こうふよう)の出現によって日本の近世篆刻界は大きな変貌を遂げることとなるが、 これについては第 4 回の掲載をお待ちいただきたい。

さて、絵画における印については流派などによってその形状が異なってくる。例えば、 日本最大規模の画派である狩野派で象徴的に用いられた鼎(かなえ)印(三つ足の古代中 国の金属器がモチーフとなった印)や、装飾的美に優れた作品を多く生み出した、琳派に おける美しい円印などが挙げられる。また、現代まで遺された絵師の印もあり、写実性に 優れた円山(まるやま)派の祖である円山応挙の遺印は、現在、三井記念美術館(東京都) に収蔵されている。

本県においても、例えば明治・大正時代の南画家である野口小蘋(しょうひん)の遺印 は、山梨県立美術館にまとめて収められている。また小蘋の作品には、自身の用いた印を デザインした表装、いわゆる小蘋表装と呼ばれる仕立てのものもあり、本展において はその表装デザインに用いられた印、及び印が小蘋のもとに納められた際の納品書もあわ せて展示している。 あくまでも、主役は絵である。しかしながら、その片隅の印もまた作品を構成する一部 であり、作品にとって欠かせない存在なのである。

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