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ブログ

2022.01.11

日本のハンコはこんなに面白い

 

日本のハンコはこんなに面白い!印鑑トリビア

今やCOOL JAPANとして海外での評価も高い日本のハンコ。印鑑の起源や日本で花開いた印鑑文化、ちょっと変わった印鑑などを歴史的観点から紹介しつつ、あの有名な言葉とハンコの意外な関係について、徹底解説します。

ハンコはいったいどこから来たのか?

日本は世界で唯一、印鑑が今も制度として使われている国です。それゆえハンコは日本独自の文化と思われがち。でも実はハンコの発祥の地が古代メソポタミアだった・・・と知っていましたか?

印鑑の誕生~メソポタミア文明~

ハンコの起源は紀元前7千年以上前のメソポタミア文明までさかのぼります。現在のイラクにあたるメソポタミアの地で誕生した印鑑はエジプト、ギリシャを経てローマへ。旧約聖書にも印にまつわる記述が複数出てきており、印鑑はキリスト教と共にヨーロッパに広まります。

アジアへの進出~シルクロードを超えて中国へ~

西洋で発展した印鑑は、シルクロードから中国に伝わります。その後、秦の始皇帝がアジアで最初の「官印制度」という印鑑制度を定めました。権威や地位を誇示する手段として印鑑を使うあたりが、始皇帝らしいとも言えますね。

遠く海を渡って日本へ~日本の印鑑文化の開花~

日本に初めて印鑑が伝わるのは、中国の後漢王朝時代。現存する日本最古の印鑑として有名なあの金印「漢委奴国王」は、漢の皇帝から贈られたものです。

時を経て奈良時代以降になると、日本独自の印鑑文化が発展。私印、つまりプライベートなハンコの誕生によって印鑑のバリエーションが増えて、この頃に芸術的な意味合いを持つようになります。現在の印鑑制度の原型となる「印鑑登録」を制定したのは、明治政府です。ただ、この時代は国民全員が文字を書けるわけではありません。そこで、自筆で署名できない庶民でも、印鑑登録済みの実印さえあれば本人であることを証明できるようになり、一般市民にも印鑑が普及したのです。

日本のハンコの歴史 ~番外編~

日本史から読み解く印鑑・・・というと堅苦しいですが、実はちょっと変わったハンコがあったのは知っていますか?例えば僧侶たちが印鑑を作った時代があったのですが、かの有名な弘法大師の印はまるで抽象画のようなユニークなハンコでした。

出典:『捃印補正』(国文学研究資料館「蔵書印データベース」による) 

もう一つご紹介するのが、キリシタン大名の印です。戦国時代は武将たちが権力をアピールするためにこぞって私印を作っていました。キリシタン大名たちも独自のハンコを制作しており、大友宗麟、細川忠興(細川ガラシャの夫)、黒田如水(黒田官兵衛)などの有名武将の印が今も残されています。印章にローマ字やキリスト教の洗礼名を用いるあたり、信仰の深さが伺えますね。

出典:吉川弘文館「国史大辞典」 

ハンコが生みの親!?~三行半の誕生秘話~

「あなたとは離婚します!」この状況を「三行半を突き付ける」と言いますが、そのルーツは江戸時代の離縁状にあります。これがハンコと一体どのような関係にあるのか・・・?謎めいた関係をひも解いてみましょう。庶民がハンコを持てるようになったのは、江戸時代です。それまで彼らが使えたのは母印(ぼいん)か、爪先に墨を付けて判を押す爪印(つめいん)のみでした。現代の離婚届にあたる江戸時代の離縁状には、字が書けない人は3本の縦線の後に離縁を証明する爪印を押していました。この爪印が半分の縦線に見えることから、「三本線+半分の線」で三行半と呼ばれるようになったとか。

日本のハンコはCOOL!~今、日本から海外へ~

印鑑がここまで多様化して、生活や文化にまで浸透した国は類を見ません。電子署名や電子契約がスタンダードとなりつつある今でも、日本のハンコは外国人観光客に大人気。来日直後の外国人に突撃インタビューをして、日本での行動に密着取材する某人気テレビ番組がきっかけで、日本の印鑑に魅了されたフランス人青年が「ハンコ王子」と話題にもなりましたよね(

日本のハンコは芸術的・文化的価値があると世界に認められています。ドキュサインは、ハンコの電子化や契約業務の改善、プロセスの短縮化などを進めることで、日本のハンコ文化を未来につなげるべく、これからも皆さまを支援して参ります!

 

2021.09.21

9月21日 13点追加いたしました。

いよいよ稼働し始まました。1社から即、ご注文をいただきました。何しろ、72歳の老人がやっています。いろいろあると思いますが、ご容赦お願いします。ご意見等聞きながらやりやすい方法を模索しています。モテギのお得意様はサイトの仕組みに拘らずが原則にしたいと思います。

2021.09.20

みなさんこんにちは! 甲州商人ドットコムです。9月20日午前0時 オープンです。

9月20日午前0時オープンです。よろしくお願いいたします。

72歳の私が、若者に教わりながら2か月で立げる事ができました。このソフトは、Well-Bee というシステムを利用しています。こんなサイトでよければ貴方でも作る事ができます。あなたの店の宣伝サイトにご活用ください。ご相談お待ち申し上げます。こんなPRの為にこのサイトを立ち上げています。

さて、サイトの内容については、皆様にご活用いただけるようにいろんな商材を提供していきます。また、みなさんにもご活用いただければ幸いです。

2021.09.19

ようこそ!! 甲州あきんどっとコムへ!! 

9月20日敬老の日、先負です。私の老化を誰も祝ってくれませんので、自分で、テレビの前に置いて小さな音でも聞きやすくなるというシステムを買いました。、テレビの音が大きいという、苦情を回避するために3万円ほど年金より引き出して買いました。自分の事は自分でする、その敬老の日にサイトをオープンいたします。商品は約100ほどしか掲載しておりませんが、今後、毎日、増えていきます。皆様にご活用いただければ幸いです。掲載商品はメールにてお知らせいたします。FAXにても同様にとかんがえています。皆様のメールアドレスをご案内いただければ、お互いの幸せにつながります。なお、象牙は限定数、登録番号を、証紙は+100円いただきます。多分、20日、午前0時がオープンです。よろしくお願いいたします。

2021.08.31

甲州商人

山梨県の名産としてあげるべきものとして印鑑を上げることに異論はないであろう。 

特に狭南と呼ばれる富士川沿いの人口4000人ほどの小さな六郷町は「はんこのふるさと六郷町」を標榜し、山梨県内の印章生産の70%、全国生産の50%を生産するという全国的にも有名なはんこ(印鑑)の町である。 

この町では印章彫刻をはじめ、印材の製造、印材卸売、印章ケース、ケース用金枠、印袋製造、メッキ加工、ゴム印、表札、通信・外交販売など、材料、加工、販売までまるで町全体が一貫生産工場として成立している。

 

山梨が昇仙峡の水晶研磨加工技術を背景にして印章産業が発展したのは想像に難くない。しかし、この六郷町が水晶から直接印鑑産業に結びついたのではない。この六郷町は江戸時代には旧岩間村を中心に、農家が足袋(たび)の製造を副業とし「足袋の岩間」といわれる程の盛業を示し、行商の手によって市場をのばしていた。しかし明治に入ってから機械化による大量生産の製品が多く、また安く出回るようになると、地方の小規模企業は圧迫され、同時に足袋製造に欠かせないこの地方特産の藍の栽培が減少して、次第に「岩間足袋」は姿を消していった。もともと足袋産業で営業力を付けていた人達は、それを生かし、印鑑の注文を営業先で取るようになり、六郷町の印章業が地場産業として定着する基礎となったのだという。

甲州商人の原点である行商による営業力がこの町の再興のビジネスチャンスを与えたのである。

 モテギ株式会社の創業者は六郷の出身であります。もう一つ靴を履く時代になってきた事もある。

2018.07.31

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2018.07.22

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