蔵六のニユース
2023.06.13
蔵六ニュース 第13号
■デジタル遺書制度を創設と報道があった。ネットで作成、押印・署名不要とある。
全文自筆がネット上で顔写真撮影と組み合わせて作成・本人確認押印が電子署名などで、紙で保管がクラウドで保管とある。ドイツやフランスはデジタル方式は認めていない。こんな事よりマイナンバーカード等の国民生活との不都合をキチンとする方が先と思うが、おそらく弁護士ドットコム等のIT企業から出ている代議士や企業が儲ける仕事づくり何でもデジタルを持ちこんでいるのかと思う。
こういった動きは我々の知らないうちに突然報道等で出てくる事にどう注視していくのか考えなければならない問題である。
日経新聞の5月1面に掲載、脱ハンコはマスコミが喜ぶ題材である事も注視していかねばならない。ハンコ議連の中谷衆議院議員には対応を問いあわせました。
記事を読みたい方にはFAXします。
■添付資料
象牙とオランダのミニ印を商人ドットコムに掲載した。ケースも特別サイズのケースが付く、その上、これを載せるディスプレイセット(限定)も数台あり、お店でお客様の目を引くこと請け合いである。
10.5ミリ丸25ミリ丈(DP付きセット)
お買い求めは:
サイトで!! オランダ水牛700円・象牙1200円
■印章:刻まれてきた歴史と文化から・・その2
(2.戦国大名の印判状 3 月 24 日)
「金印」の実物展示は 21 日で終了した。
金印の後、日本で本格的に印章が使われるようになったのは、律令制が導入された奈良 時代のことである。ただ、律令に基づく押印の制度は徐々に変質し、平安時後期代以降は、 署名に手書きのサインである花押を据えた文書が主流となり、古代の押印文書は姿を消し ていく。
朝廷や武家政権である鎌倉幕府・室町幕府も、ほとんどの発給文書が花押による ものとなった。 花押は「書判」とも呼ばれ、広い意味では「はん」の一種だが、「印判」による文書(印 判状)の発給は、戦国大名の手によって復活することとなる。
小田原を本拠とした北条氏 にはじまり、次いで駿河今川氏、さらに甲斐武田氏も印判状を出すようになった。印判状 は東日本の大名が多用し、その流れはやがて全国に広がっていく。 展示では、武田信虎・信玄・勝頼の 3 代にわたる印判状を紹介している。
武田氏で最初 に印判状を出したのは信虎だ。その印は実名「信虎」をもとにしたものばかりである点が 特徴といえる。信虎を追放した信玄は、信虎の印をすべて廃し、新たに龍の絵を描いた円 形朱印(龍朱印)の使用を始めた。この印は勝頼にも受け継がれ、武田氏の家印といえる ものとなった。そして勝頼は、龍朱印を受け継いだだけでなく、新たに「獅子朱印」を創 出した。
印判状の発給は戦国大名だけでなく、大名に従属して独自の領域支配を展開した「国衆」 も、領内へ印判状を発給するようになった。国衆の場合、従属先の大名の印判状発給のシ ステムに影響を受けていたことが指摘されている。武田氏に従属した国衆では、穴山氏や 真田氏などの朱印状に武田氏の影響を見て取ることができる。 こうして戦国大名の印判状は、東日本から全国へ、大名から国衆へと広がり、印判状に よる行政が一般的なものとなっていく。
その意味で戦国大名の「ハンコ行政」は、現在の 文書行政のさきがけということができるだろう。