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ブログ

2023.01.05

山梨の水晶産地

 山梨の水晶産地
甲斐の水晶といえば、連想されるのが金峰山であろう。山梨の水晶産地は主に金峰山を中心とする関東山地と証する地域に集中している。甲府市北部から遠く武・信・上の三州にわたる広大な地域を占め、その最高点は金峰山(二五九五メートル)で朝日岳、甲武信岳等の二五〇〇メートル以上の高峰によって信・武と境をなし、笠取山から南走して甲府盆地の塩山に終わる支脈で国師岳から南西走して甲府市に終わる支脈。この間の谷間は笛吹川、金峰山より南西走するものは、茅ヶ岳とその裾野の竜王で終わる。この脈間に荒川を画し、御岳昇仙峡の絶景をつくり、花崗岩風景をあらわ露す。
金峰山より主脈は西走して横尾山に至り、一支脈の西南に派出するものがある。前支脈との間に塩川を涵養する。このように金峰山を中心にして集中しているのであり中でも甲府市黒平の向山坑から東山梨郡牧丘町の倉沢抗(乙女鉱山)、須玉町比志の押し出し抗は古くから透明良質の水晶を多く産出している。
金峰山麓での水晶の発見は天正三年(一五七五)で、今より約四百年前のことで、ちょうど武田勝頼が三河の設楽原(しだらがはら)で織田、徳川の連合軍に大敗した年であり、武田家滅亡の第一歩を踏み出したいわゆる長篠の戦いのあった年である。
伝承によれば水晶を発見したのは険しい山道を金峰山奥宮(甲府市の金桜神社は里宮)へ登山した行者だといわれているが、これを裏付ける資料はないが、甲州水晶の産地は金峰山を中心とする一帯地域で、金峰山には各所に露出した水晶が見られたであろうと文献に記述されている。
『甲斐国志』には、水晶は水精とあり、要するに書く水晶産地の山岳地帯を源流とする各河川の流水の流水が、あたかも清くすんだ透明の水晶からにじみ出た水の精のようであったことから「水精」としたものと思われる。
天正年間の織豊時代は、水晶採掘の制限はなかったと思われるので、自由に採掘しそのままきれいな石として珍重されたものといわれている。水晶の採掘が禁止されたのははっきりしないが、『銀山旧記』によれば、戦国時代には金銀の鉱山をめぐり豪族間に猛烈な争奪戦が行われたので、秀吉がこれを防ぐために鉱山奉行をおいて各地の鉱山を治め、財力をたくわえ、金張りの秀吉といわれるようになった。天下を掌握した家康もこれにならって金山奉行を設け、各地方の主要鉱山を直轄地としたことは有名である。
徳川家の金山奉行の大久保長安は、もともと武田家に仕え、武田家の財力に金山の採掘を開発して天下の武田と名を挙げたのも、大久保長安の鉱山技術であったからである。信玄によって開発された早川入りの保や、黒川千軒とうたわれた黒川金山(塩山市旧神金村)は有名であるが、黒川金山は真っ先に幕府直轄となって管理され、すべての山が幕府の方針によって、採掘や使用は一切禁止されたのである。
災害や自然崩落等により露出した水晶鉱石は幕府に届け出て後に払い下げられたようであるが、金峰山で発見された水晶が、これが最初であるという。 金桜神社の宮司のお話によると、金峰山の山頂に奥宮があり、医薬、禁厭(災難よけ)の守護神として、すくなひこのみこと少彦名命が鎮座され(二千年前)本宮となし、千五百年前に金峰山より御祭神を御岳に遷祀して里宮とし、数千年前より日本国中にその名を知られ、里宮から置く宮へと山岳信仰の盛んな江戸時代には特に行者の登山が多く、金峰山の水晶は、行者によって発見されたことは前述のとおりである。
金桜神社の社宝、火の玉・水の玉は有名である。「火の玉」は径一寸三分、径一寸の茶色透明の二個で、「水の玉」は径一寸強、径一寸、径五分の白色透明の三個で、あわせて五個の銘玉であるが、拝見させて頂けなかった。この玉は京都の玉造りに加工させたという。年代はつまびらかでない。
金桜神社から清川筋へ出る左折れの小さな峠の下り道がある。三十五年ほど前は土道で、水晶の破片が所せましと敷き詰めたように散乱していたのを思い出したが、今は全面舗装となってその面影はなかった。甲府方面へ水晶を搬出した主幹道であったと思われる。
甲府市黒平町上黒平の長老を訪ね、水晶の話を聞くことができた。その人は水晶研究科の藤原育弥さん(八十二歳)で明治時代より亡父が水晶原石の採掘を専業としており、大正時代に入り、父子で採掘の仕事をしていたという。「御岳千軒」という昔からの言い伝えについて藤原さんは、金峰山は古くより日本の三代御獄信仰霊場であり、多くの信者の登山があった。一五七八年(天正六年)金峰山から水晶が発見され、採掘工、加工職人、運搬人、それらを商う商人と人の交流が盛んになるにしたがい、日用品販売の商店、食堂、旅館、土産品店が軒を並べ、往来は盛大を極め、一時御岳町の沢沿いに千軒くらいの集落があったといわれているという。
黒平の水晶抗は、藤原さんの家の正面で南の山、県有林にある向山抗は、前述した鉱山を目前に見ることが出来た。しかし歩くと二時間はかかるという。明治四十年まで盛んに採掘されていたが、明治四十年前後の台風、水害による崩壊がいちじるしく採掘中止の状態となった。それ以後は先代とぼつぼつ、昭和二十年の終戦まで掘っていたが閉山したという。
向山抗(甲府市黒平町)の水晶の原石は、長さ三尺(約九〇センチ)のものが最大というが、これについては面白い話をきくことができた。採掘方法はたて穴式で、大穴方式といい、井戸彫りのように約一〇〇尺(約三〇メートル)もたてに掘り下げるため、鉱山を引き上げるのに村民が総出動して作業に従事したので別名村堀りといっていたそうである。
そのために三尺(約九〇センチ)以上の原石は危険なために穴の中に残して置いたそうである。採掘すると大きな原石のみがごろごろしているというのである。そこは今、水源凾養のため山地の崩壊の危険により手はつけられないままであるという。

2022.09.29

10月1日は印章の日

 

我々が、制度の下に商いをさせて頂いている「印章の始まり」もこの頃であります。
大宝律令が発布(701)されて、印章は歴史の表舞台に登場します。
律令の中の公式令で印制が決められ、702年から諸国印が順次造られ、各國へ配布されます。
印制どおりの印影は702年以降のものが、「天皇御璽」をはじめ、正倉院に多く保管されています。
伝来の爾以来、今までに皆無であった印章が、急に歴史の表舞台に現れたということは、制度の浸透には、印章が欠かすことのできない存在となったことを示す重要なもの・・・藤原宮を支え、奈良時代を支えた旗竿になったことは、確かな事であると推察します。
その後の歴史において、やはり制度のなかで育まれた印章は、徐々に私印が表れ、私たちの暮らしの中に浸透して行きました。
明治には、書判という花押を廃して、印章を重んじる現在の印鑑登録制度が出来上がりました。
そして登録印鑑のみならず、印章の重要性や利便性は、我が国にとって大変重要な位置を占めるようになりました。
ところが、現在それを非合理的?として敵視する勢力が存在することは、確か

象牙一つをとっても、我々印章業者が自然破壊の先駆者であるような圧力宣伝をされたり、自然材を大切に扱ってきた職人の想いとは裏腹な、印材・・・自然破壊というなら、マイクロプラッチックの温床になるような樹脂印材のことは、何も物申さないで、ただただ象牙材を攻撃される。
嘗てより、日本の職人は、自然の材料に感謝の念を持ち、それを大切に加工してきたという歴史があります。
大量生産と大量消費の繰り返しではなく、自然と相談しながら、自然材と上手くお付き合いをして、モノを大切にするという習慣が根付いています。
人形浄瑠璃に使われるクジラの髭などは、その代表格といってもよいのではないでしょうか。
官印制度確立より1300年以上たっている今日、内よりの崩壊を願うのではなく、何よりもその有難味を感じて頂きたいと感じる次第です。

2022.09.20

印章の彫刻様式

 印章の彫刻様式
わが国の印章彫刻様式は、安土・桃山時代(天正五年~十四年・一五七七~一五八六)の約四百年前ポルトガル人が渡来し、鉄砲といっしょに印章篆刻技術も渡ってきたというのが定説である。
織田信長は全国より、版木職人、菓子形彫刻職人や印判職人など百人を京都に集め、ポルトガル人の講師の下に一ヵ年間の講習の結果、特別優秀な者三名を選び、これにさいじ細字の姓を与え、帯刀を許したのがわが国印章師の最も古い発祥であるという。
細字家は襲名で代々左平を名乗り初代は尾張の生まれであった前田利家と同郷だったので、利家が加賀藩主として天正十一年(一五八三)六月十四日に金沢城へ入城し、五年後の天正十六年(一五八七)三月左平は御用印判師として召し抱えられ、尾張町の現住所を賜り、現在の同地において印章店を経営する細字氏(金沢市尾張町二ノ九ノ二十二)白鶴堂がその十一代目である。
初代細字左平は京都で、四ヵ月を費やして、タガネで「つくばい」を彫刻した。それを前田利家に献上し、時代を経て水戸光圀が京都の龍安寺の中庭にすえられてある「つくばい」は、平面二尺五寸(約七五センチ)、高さ一尺五寸(約四五センチ)の丸形石材に楷書で、「吾唯足知」の四字を篆刻しているのが有名である。
中国の印章は角印であるが、西洋の印章は丸形と小判型である。わが国では両方の形を使用するようになり、この時代より角印、丸印、小判型と三種型になったのである。この時代は一般人には公印のみであったが、堺の商人にはハンコの使用が許されていたという。御朱印船の印は堺の商人が貿易の許可として使用していたものである。
江戸時代に徳川家康は、一般庶民にハンコの使用を布告している。これは「公禁令」であるが、実際には町民や百姓はハンコの使用は必要としなかったのである。一般には筆軸印(筆の軸に朱肉をつけて押す)などですませていたのであるが、元和年間(一六一五~二四)頃に社会経済の発展に伴い、百姓町人階級にも印章が流行するようになり、取引の証明と確認の意味において使用されるようになった。これが実印の始まりといわれている。しかし実際には名主、大家どまりで、訴訟などの場合も、名主、大家が羽織をつけてハンコの捺印をすることでことたりたといわれている。
江戸時代のハンコに対する川柳に、
○またハンコ大家しぶしぶ羽織を着
役所へ出向きハンコを押すときは必ず羽織をつけて立ち会ったのである。
○ハンコ屋は袴のうしろに質におき
格式の高い職業であった。前だけは袴をつけたように見せかけて判を彫っていた様子をうかがうことができる。
○ハンコ屋は刻ってやるぞと金を取り
○まんじゅうをもらって一判、倉がとび
ハンコは大切なものである。まんじゅう一つ頂いて、補償に押捺したばかりに倉を取られたのであろう。
古代より印章を押捺することは重大なことであった。印章の歴史を知り印章を大切にすることは自己の人格と信用を高めることになるのである。

2022.08.03

花押印

 
花押印とは自署ではなく、花押を刻した印判のことであり、鎌倉時代の末期から次第に用いられるようになった。これは材質に輪郭だけを刻み込んだもので(図参照)、花押印を押した後に、係りの者がその輪郭の中を黒く墨で塗りつぶす方法であり、一部針の穴ほどを残しておき、そこを文章を発行するものが塗り、再確認するということを行って来たのである。
花押印は幕末ごろまで佐官に用いられていたのであるが明示の新政府は明治元年(壱八六八)に花押印の使用を禁止し、自筆の花押を用いなければならないことを定めている。

2022.07.28

歴代内閣総理大臣の花押

 歴代内閣総理大臣の花押
明治時代以降は花押はほとんど用いられなくなったが、今でも各大臣が閣議の決裁文書に署名するときに用いられている。ほかに政界、財界、官界や風流を愛する人たちが愛用している。
次の花押は、伊藤博文ほか、中曽根康弘まで、四十五名の総理大臣が自署したものである。

2022.06.23

信玄の願文と武田諸士の起請文

 長野県上田市は「信州の鎌倉」といわれるほど歴史資料や史跡が多いところである。その一角鎮座する生島足島(いくしまたるしま)神社は、信濃の国でも指折の古社・大社である。武田信玄の崇敬が厚く、信玄はしばしば祈願をした。
同社には武田信玄が、上杉謙信との決戦に先立ち、近郷の豪族はもとより、自分の過信や弟たちまでにわたり、神の前で主家に忠誠を誓う起請文を書かせ、血判と花押を書き百通り以上の誓約祈願をさせている。これらの起請文はいつでも無料で拝見することができ、中世を知る資料として一見の価値がある。この起請文は、信玄といえども絶対的に部下、武将に信頼を持てなかった時代であったことを証明する貴重な資料である。血判状の中には一部かわったものもある。これを傘連判状といい、円形で放射状に外部に向かって連署しそれに血判をしているのである。これは主体となる人物が誰であるのかわかりにくくするための連判状であり、江戸時代まで利用されていたという。
そのころ、上杉謙信は上の荷出陣して、武田、北条の連合軍とも争っているが、北信濃の諸将で信玄に追われて謙信を頼っているものも多いので、信玄も部下諸将の結束を固めておく必要があったとみるべきであろう。一族から諸奉行以下の被官に至るまで起請文を書かせ、生島足島神社(下之郷大明神)に納め信玄に対して逆心謀叛を企てることのないこと。謙信以下の敵方に内通することがないこと。自分は信玄に忠節を尽くすという内容の起請文である。
起請文は八十三通であるが連署しているものが多いので、武士は二百三十七名に及ぶ。熊野牛王宝印の裏に署名して、花押し血判を加えている。
武田信玄の戦勝祈願文には、およそ次のようなことが記されている。

「謹んで下之郷諏訪大明神に申し上げます。私(信玄)は越後の軍勢(謙信)が攻めてくるので戦うのがよいかどうか卜(うらな)ったところ、吉という卦がでました。そこでこの天の教えに従って出陣します。なにとぞ私の軍に勝利を与えられ、長尾景虎(謙信)が逃亡するようお助けをお願いいたします。もし私が凱歌をあげて帰国しましたならば、今年から十ヶ年間、毎年青銅貨十?(さし)ずつ尾者のため奉納いたします。」
永禄二年 武田徳栄軒信玄 花押

永禄二年(一五五九)といえば川中島合戦があった二年前である。このころ晴信は信玄(法名)として改名している。(?(さし)=(穴あき銭百文を紐で通したものすなわち百文のことである。)
武田信廉の起請文 永禄十年(一五六七)八月七日、武田信廉は甲・信・西上州の武田配下の諸将とともに、生島足島神社神前で、信玄に対し逆心謀叛(むほん)のないことを起請文に認めている。
信廉(のぶかど)は信玄の弟で入道して信綱・逍遙軒といった。仏画・肖像画に優れ、武人画家として有名で、その遺作、父信虎像(甲府・大千寺蔵)、母大井夫人像(甲府・長禅寺蔵)は、現存する国指定の重要文化財である。
天正十年(一五八二)、武田氏滅亡のとき、織田氏のために、府中立石(甲府市・旧和田村)で殺された。『惣見記』には「…武田が親類・家老ノ面々落残ル者モ尋出サレ、或ハ生捕或ハ生害ナリ、其輩武田逍遙軒、同隆宝…」などとあり、武田一党のなかで信廉は筆頭に挙げられていた。兄信玄の死を世間に隠すため身代わりとなって病床に伏して医師の診察を受けたりしたという、影武者として逸話がのこされている。『甲陽軍鑑』には、「御親類衆 逍遙軒 八十騎」とある。
起請文(写真)の訓読は次の通りである。

敬って白す。起請文の事
一 この以前捧げ奉り候数通の誓詞、いよいよ相違致すべからざるの事
一 信玄様に対し奉り、逆心謀叛等相企つべからざるの事
一 長尾輝虎を初めとして、敵方より如何様の所得を以って申す旨候とも、同意致すべからざるの事
一 甲・信・西上野三ヶ国の諸卒、逆心を企つと雖(いえども)も、それがしにおいては無二に信玄様御前を守り奉り、忠節を抽(ぬき)んずべきの事
一 今度別して人数を催し、表裏なく、二途に渉らず、戦功を抽んずべきの旨、存じ定むべきの事
一 家中の者、或は甲州御前に悪しき儀、或は臆病の意見申し候とも、一切に同心致すべからざるのこと
右の条偽(いつわ)り候はば、上は梵天・帝釈・四大天王・閻魔法王・五道冥官・泰山府君・熊野三所大権現・住吉・日吉大明神・弓矢八幡・御?楯無・甲州一二三の大明神・飯縄・戸隠の大権現等の御罸をまかり蒙(こうむ)り、今生に於ては阿鼻無間に堕在致すべきものなり。仍って起請文件の如し。刑部少輔信廉 花押

武田刑部少輔信廉といっしょに起請文を収めた将士で姓名がわかっている者が二百十七名、八十三通にのぼっている。信玄の弟である信廉からも起請文を徴していたのである。六カ条の起請条項は、信玄に対し二心のないことを堅く誓わせたことに要約できる。
信玄の周辺にどのような不慮の事件が起きようとも家臣団が絶対に動揺しないための先手であった。信玄が長尾輝虎を表面に出したこの起請文を、川中島作戦に関係深い塩田下之郷明神(生島足島神社、摂社諏訪上下大明神)に納めたことは、対越後戦の準備であろうと敵味方に思い込ませておき、その実は駿河進攻作戦の準備であったことは、やがて判明する。信玄の思慮深い作戦を垣間見る貴重な歴史資料である。
珍品、女性の花押 元亀四年(一五七二・天正元)武田信玄の武将で室賀信俊の妻「壱叶」と信俊の弟、経秀の妻「みかわ」が信玄の西上作戦に従った主人の無事を祈った願文である。
この年の四月十二日に信玄は死去しているが信俊は長篠城番を命ぜられ、三河長篠に篭城していた。壱叶・みかわは夫たちの身を心配して祈願文を捧げたものである。戦国時代の武将の妻の生きざまをうかがうことのできる数少ない資料であり、女性の花押は珍しい。

右敬申上、今度さん「三河」州なか志の「長篠」におひて室賀(信俊)被到篭状(城) さおひなく罷帰候て、偽法楽能を五三番神前ニ而可致之候 仍如件 壱叶(花押)
元亀四年八月十七日(みつのとの)
とり 三かわ(花押)

2022.06.06

自由民主党山梨県印章支部としての意見

 

自由民主党山梨県印章支部としての意見(私見)

■法人問題においてはデジタル化による印影の届け出という形で法人印は残る事になりました。これは議連の先生方のお力のおかげと感謝しております。

また、河野発言問題については、議連の先生方も守旧派と言われるキツイ中、ハンコ廃止という言葉から無駄な押印というような言い方になり、ここの所、落ち着いた雰囲気になってきました。しかしながらハイエナの様なIT企業、新経済連等の動きはデジタル庁に強い発言権もあり、業界としては対応のしようがありません。

印章制度・文化を守るには、ハンコ議連の先生方にご協力、ご理解、ご指導をいただきながら、我々業界が動かなければならない事は十分承知しておりますが、何分、情報も殆どなく、今後の運動については試行錯誤している状況であります。

衆議院選挙後、久しぶりの総会でありますので、本日は、山梨として、いくつかの運動方針を提案させていただきたいと考えております。

■山梨では、今年に入り、これからの我々の運動をどういったものにしていくかという運動原案の作成を始めました。作成途中でしたが、過日、中谷先生に会う機会がありましたので、作成途中ですが資料をお渡し、話をさせていただきました。

山梨でも、まだ議論前の段階ですが、今回、資料をお渡しいたしますので、政連、大阪、全印協、全商工連含め皆様も議論をお願いしたいと思いますし、議連を通しての依頼、要望も業界を一つの意思にまとめていくべき段階と考えています。まとめ役として、東京に常駐している全印協(政連)にお願いしたく考えています。情報の発信もお願いしたいと思います。山梨は中谷先生始めいつでも話せる環境にありますので、情報も密に連携をしていけるのではと考えています。

■まず、現実を知り、今までの事の検証をしなければなりません。

法人印の現実、政府の15000の(無駄と言われる)押印廃止の現実、デジタル庁の5000の法律の見直し(印章関連?)の現実、今までの脱ハンコでの業界への影響等々の現実、現実を知らなければなりません。政府の皆様(官僚)も、我々業界と情報を共有できるように、よろしくご協力お願いいたします。

我々としては、現実を知り、分析をし、対策を練らねばなりません。そして、議連を通して、我々の意思、要望等々を伝えていく事になるように考えています。

業界として、運動の方針をいくつか考えてみました。

★印章制度の維持・銀行印の維持の運動

★現実を知る運動

(法人印について・・資料A)(印章業界の現実・・資料C

★印章をあらゆる場で使用する運動

(公印略を必ず公印押印に)(団体等の提携に必ず押印)等々

★空気感、風潮の改善運動(プロモーション)

(業界で一番困っている事・・資料D

★15000を検証し・・㊞復活運動

(別紙資料在り・・資料B―①②)

★業界への優遇政策

(優遇助成金等の運動・プロモーション費の助成)等々

★国のデジタル政策(庁)・IT企業・新経済連の監視運動・情報収集。

★デジタルと印章の融合性の可能性についての運動

★印章の大事さを広く国民に伝える運動

★印章技術者、印章彫刻技術継承の為の運動(技術検定試験・資料E

★印章法案に取り組む(鈴木)・・49日追加

現実を知る・・資料AB

★政府の情報開示のお願い

■法人印について

①現実把握

法人印市場の把握・・年間法人数 (法人印のデジタル登録システムの確認)

内 デジタル登録数・・・印鑑同時登録数  印鑑登録なし数(後日登録数)

内 持参登録数・・・・・印鑑同時登録数  印鑑登録なし数(後日登録数)

★外資系の会社から印鑑の注文が途絶えた

★脱ハンコを提唱しているIT会社が、会社関係のハンコを安く販売している狡さ

等の情報あり

②現実把握・・・資料Bの① 

★河野発言による認印廃止項目、15000の資料とその後の実態調査依頼を国に申し入れる

★婚姻に関する㊞の全国への通達文書・全国の市町村の実態調査と㊞の徹底依頼

15000以外の印鑑については・・・リスト要求

★河野発言以来の政府の動きの把握・・㊞が無くなり・・どのくらいの効果、効率化・紙等の減少による効果

★脱ハンコ進行状況

政府内での印鑑

政府と地方公共団体との印鑑

政府と民間との印鑑 

地方公共団体と民間との印鑑

民間と民間との印鑑

政府、デジタル庁の推進度の把握   他

③デジタル庁が書簡での手続きの18000種類を2025年までにオンライン化する計画についての現実

・現実の調査・分析・対応策

■㊞復活運動

■政府にはハンコ廃止等々の、ハンコが悪るものであるような言い方、発言をしないように求める。

■印章業界の現実・・資料C

日本の構造的問題の少子化、高齢化、IT化、生産年齢者の減少、会社の減少、そして規制(象牙)等々は以前より大きな負の問題として構造的に抱えている現実です。

3年前の法人の問題、そして河野発言による認印15000余りの廃止は業界の何割かがなくなるだろうという、不安定な大きな痛みを抱える事になりました。

★業界のアンケート調査によると、頑張っているハンコ屋さんで20%ダウン、後継者のいないハンコ屋さんらは3040%ダウン、売上の上がつているハンコ屋さんはゼロという現実であります。中には50~60%ダウンの店もあります。

小売店がそんな状態である事は、中間卸もその数字をそのままに影響を受け、メーカーも然りであります。昨年は朱肉メーカー2社が廃業、木工のメーカーも廃業いたしました。同時に、材料の値上げも大きな負担になっています。

また、100shopダイソーは認印の補充を辞めています。山梨の業者からの物流を考えるに0になる事も想像できます。相反して業界的にはハンコ屋さんに朗報といえます。

数年前には全国一位の小売店は全国展開をしている店舗業者でしたが、現在はネット業者が一位になりました。そのネットの世界も中国系業者が四分の一位を占めている事が想像できます。これはアマゾン等でも言われている大きな問題です。

業界の皆さんは、泣き言も言わず、経営努力で生き残ろうと頑張っています。

その頑張りを、少しでも応援していただく事をお願いしたいのです。

■具体的に業界を応援する(国・県)政策を!

★例えば(基本的には、個人、会社への個別助成等の特別枠)

補助金・助成金制度の創設・現在ある補助金・助成金制度の運用に印章業界の特別枠か優先度を高く…例えば事業再構築助成金への優先業種等々

■業界で一番困っている事空気感、風潮を変える)・資料D

河野大臣の乱暴な発言以来、政府関係の認印でなく、ハンコそのものが要らないんだという空気感が生じています。この事は、ハンコがいる時買えばいいや、いつなくなるかわからないものに金を掛けれるか、という風潮はネットのように、安ければなんでもいやという大きな流れに通じ危惧しています。

この問題への対策が優先度高いと考えています。

もう一つの、ハンコの大きな需要のある銀行印市場ですが、銀行や楽天のように、ハンコなくてもカード作れますというテレビの垂れ流しPR含め、キャッレスの流れがあります。これは使いようによっては便利であり、国民の便利さにつながり反対するものではありませんし、時代も要求しています。

しかしながら、ハンコの手続きが要らない(代わりに免許書を見せろとか)事を、大袈裟に宣伝する心ない、深みもない銀行も多く見られます。

私たちは、給料が振り込まれ生活の基盤になる銀行口座、将来の為、子供のため等々の銀行口座、そして便利なキャシュレス口座をうまく使い分け生活を組み立てるような安心のお金の使い方をPRし、生まれた子供の預金口座の開設にPRを入れていきます。心なき銀行のPRのやり方にも政府から一言申し上げていただきたくお願いをいたします。と共に、国民の安心した、安定した生活のお金の管理方法もPRしていただけるとありがたく思います。

資料E

■技術者の養成ができる助成制度、印章技術者養成のために助成をおねがいいたします。

また、厚生省の技術検定制度を業界に合わせた運用のお願いをいたします。

★技術講習費の助成

★検定試験制度の緩和

厚生労働省の考え方に思いがないと考えています。

最後に、印章問題の現実とコロナ禍の影響も重なり、業界の市場の急激な減少問題があります。

急激は、乱暴な河野発言が大きな要因と考えています。

デジタル化政策の遅れは、業界の責任ではないと考えています。

自民党の党是にあるように、急激な改革はせず、痛みも分かち合えながら政策を進めるのが保守であります。

 

一番の問題は風潮です。

★印章の大事さを国民にプロモーションする費用の全額助成

★そういった問題への対応に補助と知恵をおねがいしたい。

★広告宣伝の費用を助成をお願いしたい。

★全国的に、ハンコの良さを伝えることができるような事業に補助金をお願いしたい。

★テレビ、新聞、雑誌等を使い、広告宣伝に大きな能力を持つ電通のような会社を使える資金をお願いしたい。

 

今後の運動について、幾つかテーマを書きましたが、ハンコ議連の先生方、現場の官僚の皆さんのお知恵を我々印章業界に、印章が社会のお役に立つ、立ってきた、立っている事の空気感を創り出し、脱ハンコによる、ハンコいるの空気感を薄めていく事にお力をお願いしたいと思います。

広く、消費者に訴える事業の構築と資金的助成等をお願いしたい。

 

以上です。

全国のハンコ屋関係者につながりをつけるには、全印協(政連)・卸・メーカー・全印協以外のハンコ屋さん・自民党山梨・大阪で情報の共有と統一した行動(資金集め含め)が大前提です。これに業界誌が加わる組織を創り上げる事が必要と思い、行動をしています。皆様のご協力、ご支援をお願いします。

印章制度の維持、印章業界の活性化が目的です。

2022.06.06

2022年6月 業界として取り組む私案

 

自由民主党山梨県印章支部としての意見(私見)

■法人問題においてはデジタル化による印影の届け出という形で法人印は残る事になりました。これは議連の先生方のお力のおかげと感謝しております。

また、河野発言問題については、議連の先生方も守旧派と言われるキツイ中、ハンコ廃止という言葉から無駄な押印というような言い方になり、ここの所、落ち着いた雰囲気になってきました。しかしながらハイエナの様なIT企業、新経済連等の動きはデジタル庁に強い発言権もあり、業界としては対応のしようがありません。

印章制度・文化を守るには、ハンコ議連の先生方にご協力、ご理解、ご指導をいただきながら、我々業界が動かなければならない事は十分承知しておりますが、何分、情報も殆どなく、今後の運動については試行錯誤している状況であります。

衆議院選挙後、久しぶりの総会でありますので、本日は、山梨として、いくつかの運動方針を提案させていただきたいと考えております。

■山梨では、今年に入り、これからの我々の運動をどういったものにしていくかという運動原案の作成を始めました。作成途中でしたが、過日、中谷先生に会う機会がありましたので、作成途中ですが資料をお渡し、話をさせていただきました。

山梨でも、まだ議論前の段階ですが、今回、資料をお渡しいたしますので、政連、大阪、全印協、全商工連含め皆様も議論をお願いしたいと思いますし、議連を通しての依頼、要望も業界を一つの意思にまとめていくべき段階と考えています。まとめ役として、東京に常駐している全印協(政連)にお願いしたく考えています。情報の発信もお願いしたいと思います。山梨は中谷先生始めいつでも話せる環境にありますので、情報も密に連携をしていけるのではと考えています。

■まず、現実を知り、今までの事の検証をしなければなりません。

法人印の現実、政府の15000の(無駄と言われる)押印廃止の現実、デジタル庁の5000の法律の見直し(印章関連?)の現実、今までの脱ハンコでの業界への影響等々の現実、現実を知らなければなりません。政府の皆様(官僚)も、我々業界と情報を共有できるように、よろしくご協力お願いいたします。

我々としては、現実を知り、分析をし、対策を練らねばなりません。そして、議連を通して、我々の意思、要望等々を伝えていく事になるように考えています。

業界として、運動の方針をいくつか考えてみました。

★印章制度の維持・銀行印の維持の運動

★現実を知る運動

(法人印について・・資料A)(印章業界の現実・・資料C

★印章をあらゆる場で使用する運動

(公印略を必ず公印押印に)(団体等の提携に必ず押印)等々

★空気感、風潮の改善運動(プロモーション)

(業界で一番困っている事・・資料D

★15000を検証し・・㊞復活運動

(別紙資料在り・・資料B―①②)

★業界への優遇政策

(優遇助成金等の運動・プロモーション費の助成)等々

★国のデジタル政策(庁)・IT企業・新経済連の監視運動・情報収集。

★デジタルと印章の融合性の可能性についての運動

★印章の大事さを広く国民に伝える運動

★印章技術者、印章彫刻技術継承の為の運動(技術検定試験・資料E

★印章法案に取り組む(鈴木)・・49日追加

現実を知る・・資料AB

★政府の情報開示のお願い

■法人印について

①現実把握

法人印市場の把握・・年間法人数 (法人印のデジタル登録システムの確認)

内 デジタル登録数・・・印鑑同時登録数  印鑑登録なし数(後日登録数)

内 持参登録数・・・・・印鑑同時登録数  印鑑登録なし数(後日登録数)

★外資系の会社から印鑑の注文が途絶えた

★脱ハンコを提唱しているIT会社が、会社関係のハンコを安く販売している狡さ

等の情報あり

②現実把握・・・資料Bの① 

★河野発言による認印廃止項目、15000の資料とその後の実態調査依頼を国に申し入れる

★婚姻に関する㊞の全国への通達文書・全国の市町村の実態調査と㊞の徹底依頼

15000以外の印鑑については・・・リスト要求

★河野発言以来の政府の動きの把握・・㊞が無くなり・・どのくらいの効果、効率化・紙等の減少による効果

★脱ハンコ進行状況

政府内での印鑑

政府と地方公共団体との印鑑

政府と民間との印鑑 

地方公共団体と民間との印鑑

民間と民間との印鑑

政府、デジタル庁の推進度の把握   他

③デジタル庁が書簡での手続きの18000種類を2025年までにオンライン化する計画についての現実

・現実の調査・分析・対応策

■㊞復活運動

■政府にはハンコ廃止等々の、ハンコが悪るものであるような言い方、発言をしないように求める。

■印章業界の現実・・資料C

日本の構造的問題の少子化、高齢化、IT化、生産年齢者の減少、会社の減少、そして規制(象牙)等々は以前より大きな負の問題として構造的に抱えている現実です。

3年前の法人の問題、そして河野発言による認印15000余りの廃止は業界の何割かがなくなるだろうという、不安定な大きな痛みを抱える事になりました。

★業界のアンケート調査によると、頑張っているハンコ屋さんで20%ダウン、後継者のいないハンコ屋さんらは3040%ダウン、売上の上がつているハンコ屋さんはゼロという現実であります。中には50~60%ダウンの店もあります。

小売店がそんな状態である事は、中間卸もその数字をそのままに影響を受け、メーカーも然りであります。昨年は朱肉メーカー2社が廃業、木工のメーカーも廃業いたしました。同時に、材料の値上げも大きな負担になっています。

また、100shopダイソーは認印の補充を辞めています。山梨の業者からの物流を考えるに0になる事も想像できます。相反して業界的にはハンコ屋さんに朗報といえます。

数年前には全国一位の小売店は全国展開をしている店舗業者でしたが、現在はネット業者が一位になりました。そのネットの世界も中国系業者が四分の一位を占めている事が想像できます。これはアマゾン等でも言われている大きな問題です。

業界の皆さんは、泣き言も言わず、経営努力で生き残ろうと頑張っています。

その頑張りを、少しでも応援していただく事をお願いしたいのです。

■具体的に業界を応援する(国・県)政策を!

★例えば(基本的には、個人、会社への個別助成等の特別枠)

補助金・助成金制度の創設・現在ある補助金・助成金制度の運用に印章業界の特別枠か優先度を高く…例えば事業再構築助成金への優先業種等々

■業界で一番困っている事空気感、風潮を変える)・資料D

河野大臣の乱暴な発言以来、政府関係の認印でなく、ハンコそのものが要らないんだという空気感が生じています。この事は、ハンコがいる時買えばいいや、いつなくなるかわからないものに金を掛けれるか、という風潮はネットのように、安ければなんでもいやという大きな流れに通じ危惧しています。

この問題への対策が優先度高いと考えています。

もう一つの、ハンコの大きな需要のある銀行印市場ですが、銀行や楽天のように、ハンコなくてもカード作れますというテレビの垂れ流しPR含め、キャッレスの流れがあります。これは使いようによっては便利であり、国民の便利さにつながり反対するものではありませんし、時代も要求しています。

しかしながら、ハンコの手続きが要らない(代わりに免許書を見せろとか)事を、大袈裟に宣伝する心ない、深みもない銀行も多く見られます。

私たちは、給料が振り込まれ生活の基盤になる銀行口座、将来の為、子供のため等々の銀行口座、そして便利なキャシュレス口座をうまく使い分け生活を組み立てるような安心のお金の使い方をPRし、生まれた子供の預金口座の開設にPRを入れていきます。心なき銀行のPRのやり方にも政府から一言申し上げていただきたくお願いをいたします。と共に、国民の安心した、安定した生活のお金の管理方法もPRしていただけるとありがたく思います。

資料E

■技術者の養成ができる助成制度、印章技術者養成のために助成をおねがいいたします。

また、厚生省の技術検定制度を業界に合わせた運用のお願いをいたします。

★技術講習費の助成

★検定試験制度の緩和

厚生労働省の考え方に思いがないと考えています。

最後に、印章問題の現実とコロナ禍の影響も重なり、業界の市場の急激な減少問題があります。

急激は、乱暴な河野発言が大きな要因と考えています。

デジタル化政策の遅れは、業界の責任ではないと考えています。

自民党の党是にあるように、急激な改革はせず、痛みも分かち合えながら政策を進めるのが保守であります。

 

一番の問題は風潮です。

★印章の大事さを国民にプロモーションする費用の全額助成

★そういった問題への対応に補助と知恵をおねがいしたい。

★広告宣伝の費用を助成をお願いしたい。

★全国的に、ハンコの良さを伝えることができるような事業に補助金をお願いしたい。

★テレビ、新聞、雑誌等を使い、広告宣伝に大きな能力を持つ電通のような会社を使える資金をお願いしたい。

 

今後の運動について、幾つかテーマを書きましたが、ハンコ議連の先生方、現場の官僚の皆さんのお知恵を我々印章業界に、印章が社会のお役に立つ、立ってきた、立っている事の空気感を創り出し、脱ハンコによる、ハンコいるの空気感を薄めていく事にお力をお願いしたいと思います。

広く、消費者に訴える事業の構築と資金的助成等をお願いしたい。

 

以上です。

全国のハンコ屋関係者につながりをつけるには、全印協(政連)・卸・メーカー・全印協以外のハンコ屋さん・自民党山梨・大阪で情報の共有と統一した行動(資金集め含め)が大前提です。これに業界誌が加わる組織を創り上げる事が必要と思い、行動をしています。皆様のご協力、ご支援をお願いします。

印章制度の維持、印章業界の活性化が目的です。

2022.03.29

ハンコ議連は業界の皆さんがどうしたいのかを

 

基本原則として

■ハンコ屋さんが行動、要求、等々をしなければ ハンコ議連は 動かないん

■ハンコ屋さんが一本になってない事にはまともでないと思われる

■はんこ議連が何をどうかしてくれるわけでない

■あなた方がどうにかしようと思い 行動しなければ 議連は動かない

 

★現時点で5月にハンコ議連総会を考えているが

中谷議員の考えとしては 河野発言以来の

押印廃止により 国民生活に 影響がないのか? あるのか?

押印廃止により 国民が 生活しづらくなっていないか?

押印廃止により 効率化ができているのか?

押印廃止により 紙がなくなっているのか?

押印廃止により 〇〇〇〇

 

こういった点から 役人を問いただしていく

2022.02.15

ビジネスで使う角印と丸印の違い

 

ビジネスで使う「角印」と「丸印」の違い、説明できますか? ハンコにまつわる豆知識

ビジネスシーンでは、複数の「法人印」が利用されています。例えば、領収書や見積書を発行する際は、法人名などが刻印された「角印」が用いられます。また、利用する場面は少ないものの、「角印」とは異なる役割を果たす法人印として「丸印」が広く知られています。そこで本記事では、「ハンコにまつわる豆知識」として、日常的に目にするものの詳しくは知らない、法人印の種類や効果、利用シーンなどについて解説します。

「法人の認印」としての役割を果たす角印

法人印として最も触れる機会が多いのは、角印ではないでしょうか。角印は、「会社印」や「社判」などとも呼ばれる角形の法人印です。主に請求書や領収書、契約書など、企業名義で発行する文書に押され、確認を行ったことを証明する役割を果たします。

しかし、必ずしも文書の発行や確認を証明する場面で角印が求められるわけではありません。あくまで角印は文書の証明力を担保する1つの手段であり、角印が押されていない請求書や領収書などにも法的な効力は備わります。そうした「文書の発行や確認を証明するために押される」「省略しても文書の効力は失われない」といった特徴は、個人用の認印と共通しています。つまり「法人の認印」の役割を果たすのが角印です。また、角印は通称であり、必ずしも角形が義務付けられているわけではありません。後に解説する丸印と区別を付けるためなど、あくまでも慣習上の目的から、角形という言葉が一般的に用いられています。

「法人の実印」である丸印。角印との違いは?

一方で丸印は、「代表者印」や「会社実印」などとも呼ばれる丸型の法人印です。登録が義務付けられていない角印に対して、丸印は商業登記法20条の規定により、法人設立時に法務局への登録が求められます1)。登録した丸印は、法務局から印鑑証明書を取得するのが可能となるなど、「法人の実印」としての役割を果たします。

個人用の実印が、財産の取引などでしか利用されないのと同様に、丸印の利用シーンも非常に限定的です。そのため、丸印に馴染みのない方も多いかもしれません。

具体的に、丸印は以下のような場面で使用されています。

  • 代表取締役を変更するとき
  • 株券発行するとき
  • 連帯保証契約を締結するとき
  • 企業買収を行うとき
  • 官公庁への入札をするとき

また、金融機関に口座を開設する際にも法人印の届出が求められますが、偽造防止などの観点から丸印とは別の「銀行印」を作成し、届け出るのが一般的とされています。

丸印には、どんな印鑑を選べばよい?

角印には、サイズ・形状の法律規定がないのに対し、丸印は法務局によって定められた規定が存在します。商業登記規則第93項にて、「印鑑の大きさは、辺の長さが一センチメートルの正方形に収まるもの又は辺の長さが三センチメートルの正方形に収まらないものであつてはならない」と記されており(2)、丸印の印影は直径1cm以上3cm未満と定められています。

一方で、印影の形状や刻印内容については規定されていませんが、二重の円の外側に会社名や屋号、内側の円に代表者の役職を刻印するのが一般的です。さらに、商業登記規則第94項には「印鑑は、照合に適するものでなければならない」ともあり、経年などにより印影が変化しやすいハンコは丸印として登録することができません。そのため、シヤチハタやゴム印などは、丸印に適さないとされています。

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